双葉だから行こうと決めた。
双葉だからできることがある。
浅野撚糸は岐阜県安八郡に本社を構える撚糸(ねんし)業を営む、いわゆる“町工場”。自社で開発した高い吸水性を誇るSUPER ZERORを使った“エアーかおる”のタオルシリーズはの多くメディアでも取り上げられ累計1,700万枚を売り上げる。倒産の危機を乗り越えた同社の成功は、まさにサクセスストーリーだ。経済産業省の繊維の将来を考える会にも名を連ね、順風満帆に見える同社だが、経済産業省の関係者から福島の復興を手伝って欲しいと懇願され、福島の現実を目の当たりにする。
浅野社長は「福島の大学を出ているので、福島の知人や友人も被災していた。当時は会社が大変な時期で、福島の現状に目を背ける自分がいた。」と語る。
2019年、被ばく地域の12市町村を2日間に渡り見学する。一番悲惨な状況だったのが双葉町だった。その悲惨な状況に自然と涙が流れた。帰りのバスの中で、「双葉に行こう」と決めたという。そして、2023年4月22日(土)、双葉町に新工場“フタバスーパーゼロミル”のオープンに至る。
双葉町は、町の96%のエリアが帰宅困難区域に指定され、震災の翌日12日より、全町避難を経験し、2022年8月30日の避難解除までの11年5カ月の間自宅へ戻ることが出来なかった町だ。現在の町民は、伊澤町長も含め103名(2023年12月時点)だという。震災前の町民が7,140名だったことから考えると、復興への道のりは容易ではない。
その状況の中、浅野撚糸が双葉に手を挙げてくれた。伊澤町長は「まちが荒廃し、畑も津波でぐちゃぐちゃの状態だった。そんな状況だからこそ、何とかしないといけないと思ってくれたのでは。」と感謝を述べた。
「大事なのは、復旧ではなく、復興。」と語るのは復興庁の桜町統括官。
甚大な被害を受け、放射能汚染されたエリアを復興させないといけないのか。という声も事実あるそうだが、「誰にも故郷を奪う権利はない。日本はそういう国ではない。」と力強く語った。元々住んでいた方々が夢をみられるようなまちにすること。それが復興になると考え、創造的復興を目指す。福島イノベーション・コースト構想を推進し、その中核を浅野撚糸に担っていただきたいと期待を寄せる。
日本の素晴らしさを双葉から世界へ。
ファシリテーターのサンメッセ総合研究所の田中代表からは、SBのセッションの中で、ここまで生々しい話をしているのは初めてのことでは。きらびやかな内容が注目されがちだが、こういったリアルな話をしていくことが、復興にも繋がるはず。そして双葉に行きたいと思ってくれる人、一緒に復興の手伝いをしたいと考える人。そのような人を動かす原動力に繋がってくるのではと、本セッションの意義を語りました。そして、パネラーに対し復興を実現するための課題や思いについて問うた。
伊澤町長は、中間貯蔵施設の受け入れ判断やALPS処理水の海洋放出の取り組みなど、これまで誰も経験したことがないことをやろうとしている。「非常にやりがいがあるし、やれるという気持ち、自身に暗示をかけている。」と率直な感想を語った。
また、若者の流入もあるという。若手のクリエイター達が、被災自治体を自主的にみてまわり、その中で、双葉が印象に残ったそうだ。彼らが制作したムービーが上映され、そこには“双葉町はゼロからスタートできる”と発言があった。
「 “ゼロからまちがつくれる”という発想。これは我々にはないものだった。」
地域は世代が入れ替わり受け継がれるもの。しかし双葉は違う。このまちをどう維持していくか。それには、外から人に来てもらうしかない。まちの未来への継承を“よそ者”に託していくことになる。桜町統括官は、「地方創生の観点からみても、初めてのこと。」だという。さらに、
「元々の住人の方、外からの人。それぞれが、バラバラに分断した社会ではなく、融和していく。そんなまちができれば、自然と継承もできていくのでは。」と思いを語った。その為には、交流人口を増やしていく。双葉のファンになってもらうことが重要。滞在期間を伸ばす施策など、令和7年度には大型の宿泊施設の計画もあがっている。現在、浅野撚糸を皮切りに、19もの企業が双葉で動いているという。
浅野社長からは、“フタバスーパーゼロミル”の見学会での出来事について紹介があった。その日は、福島県内の高校生を招いた工場見学があり、高校を卒業したばかりの新入社員が担当し、学生から『あなたにとって、復興とはなんですか?』という問いがあったそうだ。その新入社員からは『私は、6歳で被災しました。学校入学前に災害を経験。入学式がないまま小学生に。そして中学校・高校に入って、福島に何かしたいと考えました。でも、何もできなかった。復興とは私が今ここにいることです。』と語ったそう。それを陰から見守っていた、浅野社長は涙が出たという。それを聞いて、改めて双葉に来て良かったと実感したそう。
それを裏付けるように、現在浅野撚糸には、海外のハイブランドやメーカーから多くの引き合いがあるそう。各社言うことは「福島でやる企業。それだけで十分だ。」と。
浅野社長はいう「日本の素晴らしさを発信するには双葉しかない。」
復興とともに、双葉で世界一の町工場をつくる。そして、日本の繊維業界の自信を取り戻すと決意を語った。
ファシリテーターの田中からは、「私のミッションは、この双葉の動きをSBのメディアを通して発信していくこと。」と約束してセッションは閉じた。