サンメッセ総合研究所 - Sun Messe Innovative Network Center
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特集:サステナブル・ブランド国際会議2024東京・丸の内 レポート

Report 1:Regenerating Local

双葉の今。共創により、
ゼロからまちをつくる

真の復興実現に向けたRegenerating Local
~福島県双葉町の再興は、未来につなげる共創へ~

(2024.2.21実施)

浅野撚糸株式会社
代表取締役社長
浅野 雅己
福島県双葉町
町長
伊澤 史朗
復興庁
統括官
桜町 道雄
ファシリテーター
サステナブル・ブランド国際会議 ESGプロデューサー
サンメッセ総合研究所(Sinc)代表
サンメッセ株式会社 取締役 専務執行役員 経営企画室長
田中 信康

本セッションは、サステナブル・ブランド国際会議2024のメインテーマであるRegenerating Local “ローカルを再生する”をタイトルに据え、3.11東日本大震災を経て、復興に向けた歩みを続けている、福島県双葉町にフォーカスし、真の復興に向けた共創とは何かについて、企業・地方自治体・国、それぞれの視点で語り合った。

双葉だから行こうと決めた。
双葉だからできることがある。

浅野撚糸は岐阜県安八郡に本社を構える撚糸(ねんし)業を営む、いわゆる“町工場”。自社で開発した高い吸水性を誇るSUPER ZERORを使った“エアーかおる”のタオルシリーズはの多くメディアでも取り上げられ累計1,700万枚を売り上げる。倒産の危機を乗り越えた同社の成功は、まさにサクセスストーリーだ。経済産業省の繊維の将来を考える会にも名を連ね、順風満帆に見える同社だが、経済産業省の関係者から福島の復興を手伝って欲しいと懇願され、福島の現実を目の当たりにする。
浅野社長は「福島の大学を出ているので、福島の知人や友人も被災していた。当時は会社が大変な時期で、福島の現状に目を背ける自分がいた。」と語る。
2019年、被ばく地域の12市町村を2日間に渡り見学する。一番悲惨な状況だったのが双葉町だった。その悲惨な状況に自然と涙が流れた。帰りのバスの中で、「双葉に行こう」と決めたという。そして、2023年4月22日(土)、双葉町に新工場“フタバスーパーゼロミル”のオープンに至る。

双葉町は、町の96%のエリアが帰宅困難区域に指定され、震災の翌日12日より、全町避難を経験し、2022年8月30日の避難解除までの11年5カ月の間自宅へ戻ることが出来なかった町だ。現在の町民は、伊澤町長も含め103名(2023年12月時点)だという。震災前の町民が7,140名だったことから考えると、復興への道のりは容易ではない。
その状況の中、浅野撚糸が双葉に手を挙げてくれた。伊澤町長は「まちが荒廃し、畑も津波でぐちゃぐちゃの状態だった。そんな状況だからこそ、何とかしないといけないと思ってくれたのでは。」と感謝を述べた。

「大事なのは、復旧ではなく、復興。」と語るのは復興庁の桜町統括官。
甚大な被害を受け、放射能汚染されたエリアを復興させないといけないのか。という声も事実あるそうだが、「誰にも故郷を奪う権利はない。日本はそういう国ではない。」と力強く語った。元々住んでいた方々が夢をみられるようなまちにすること。それが復興になると考え、創造的復興を目指す。福島イノベーション・コースト構想を推進し、その中核を浅野撚糸に担っていただきたいと期待を寄せる。

日本の素晴らしさを双葉から世界へ。

ファシリテーターのサンメッセ総合研究所の田中代表からは、SBのセッションの中で、ここまで生々しい話をしているのは初めてのことでは。きらびやかな内容が注目されがちだが、こういったリアルな話をしていくことが、復興にも繋がるはず。そして双葉に行きたいと思ってくれる人、一緒に復興の手伝いをしたいと考える人。そのような人を動かす原動力に繋がってくるのではと、本セッションの意義を語りました。そして、パネラーに対し復興を実現するための課題や思いについて問うた。

伊澤町長は、中間貯蔵施設の受け入れ判断やALPS処理水の海洋放出の取り組みなど、これまで誰も経験したことがないことをやろうとしている。「非常にやりがいがあるし、やれるという気持ち、自身に暗示をかけている。」と率直な感想を語った。
また、若者の流入もあるという。若手のクリエイター達が、被災自治体を自主的にみてまわり、その中で、双葉が印象に残ったそうだ。彼らが制作したムービーが上映され、そこには“双葉町はゼロからスタートできる”と発言があった。
「 “ゼロからまちがつくれる”という発想。これは我々にはないものだった。」

地域は世代が入れ替わり受け継がれるもの。しかし双葉は違う。このまちをどう維持していくか。それには、外から人に来てもらうしかない。まちの未来への継承を“よそ者”に託していくことになる。桜町統括官は、「地方創生の観点からみても、初めてのこと。」だという。さらに、
「元々の住人の方、外からの人。それぞれが、バラバラに分断した社会ではなく、融和していく。そんなまちができれば、自然と継承もできていくのでは。」と思いを語った。その為には、交流人口を増やしていく。双葉のファンになってもらうことが重要。滞在期間を伸ばす施策など、令和7年度には大型の宿泊施設の計画もあがっている。現在、浅野撚糸を皮切りに、19もの企業が双葉で動いているという。

浅野社長からは、“フタバスーパーゼロミル”の見学会での出来事について紹介があった。その日は、福島県内の高校生を招いた工場見学があり、高校を卒業したばかりの新入社員が担当し、学生から『あなたにとって、復興とはなんですか?』という問いがあったそうだ。その新入社員からは『私は、6歳で被災しました。学校入学前に災害を経験。入学式がないまま小学生に。そして中学校・高校に入って、福島に何かしたいと考えました。でも、何もできなかった。復興とは私が今ここにいることです。』と語ったそう。それを陰から見守っていた、浅野社長は涙が出たという。それを聞いて、改めて双葉に来て良かったと実感したそう。

それを裏付けるように、現在浅野撚糸には、海外のハイブランドやメーカーから多くの引き合いがあるそう。各社言うことは「福島でやる企業。それだけで十分だ。」と。
浅野社長はいう「日本の素晴らしさを発信するには双葉しかない。」
復興とともに、双葉で世界一の町工場をつくる。そして、日本の繊維業界の自信を取り戻すと決意を語った。

「京都には、日本の昔がある。東京には、日本の今がある。双葉には、日本の未来がある。」(浅野社長が考えたコピー)

ファシリテーターの田中からは、「私のミッションは、この双葉の動きをSBのメディアを通して発信していくこと。」と約束してセッションは閉じた。